FC2ブログ

東京の地霊(ゲニウス・ロキ)  3.文京区 護国寺

護国寺

3.文京区 護国寺
 明治の覇者達が求めた新しい地霊
 -その「茶道化」の立役者 高橋箒庵

音羽の護国寺の話。
自分と地縁がある訳ではありませんが、面白い話だったので。

建立は元禄五(1692)年、発願は桂昌院。この人は三代将軍徳川家光の側室、
そして五代将軍徳川綱吉の生母です。よってこの寺のパトロンは幕府そのもの。
(こういう寺を「幕府一建立の寺(ばくふいちこんりゅうのてら)」というらしい)
と、いうことは時代が江戸から明治に移り変わる中で衰退してしまうのでは…と
思いきや、この寺はそうではありませんでした。

理由の一つが陸軍墓地として敷地の一部を提供したことらしいですが、
そのため明治の偉人と呼ばれる人たちのお墓が多いそうです。
例を挙げれば、
三条実美山縣有朋大隈重信大倉喜八郎・安田善次郎・団琢磨・田中光顕などなど。
ジョサイア・コンドルのお墓もあるそうです。
そして実は都内屈指の茶道のメッカであり、それに箒庵高橋義雄という人物が深く絡んでいるとのこと。
高橋箒庵


実際、本書でも解説されていますが護国寺には茶室が多くあります。
正門を上った先の不老門の右手に箒庵と仲麿堂。
左手上の方に不昧軒、円成庵、宗澄庵。
庫裏の一角にも月窓軒、化生庵、艸蕾庵といくつもの茶室が並んでいるそうです。

月光殿


さてこの高橋氏、明治末期に寺から財政再建を持ちかけられると手始めに自分の知り合い
(大倉喜八郎・安田善次郎・団琢磨など)を誘い墓を作らせ仲麿堂・三笠亭・箒庵を寄進。
そしてちょうど関東大震災の復興で愛宕山にある松平不昧公という大茶人の墓所を引っ張ってきます。
これを機に円成庵と不昧庵という茶席を建立し、またその後原六郎の邸内にある慶長館(元三井寺月光院)を
移し月光殿と定め、昭和九年に化生庵、十一年に艸蕾庵の寄進を受けます。

この一連の流れに自分は日本建築の特長、ひいては日本人の精神構造の一端を垣間見た気がしています。
つまり日本の建物はその建物の持つ精神ごと“移設できる”のです。
伊勢神宮の式年遷宮の例を引くまでもなく、日本では神様も「のれん分け」や「引っ越し」をします。
これは日本の建築が基本的に木造であり、かつ釘を多用しない建築方法であること、また地震大国であり
自然災害により建物が喪失しやすいために「建物の移動性」が容認されたのではないでしょうか。

護国寺のプロデュースというエピソードを知り、そんなことを考えた次第です。


関連ページ
個人ページ 古今建物集-護国寺(写真が豊富に掲載されています)
護国寺HP

東京の地霊(ゲニウス・ロキ) (ちくま学芸文庫)東京の地霊(ゲニウス・ロキ) (ちくま学芸文庫)
(2009/02)
鈴木 博之

商品詳細を見る
関連記事
スポンサーサイト



この記事へのコメント

トラックバック

URL :

プロフィール

miyabi

  • Author:miyabi
  • 2013/1よりディスプレイ周りの技術情報を掲載。

    Twitter @deep2black
カレンダー
04 | 2020/05 | 06
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
最近の記事
タグリスト
カテゴリー
アーカイブ
リンク
人気記事
ブログ内検索
関連書籍
RSSフィード
Twitter